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バッチ博士と英国バッチセンター
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英国バッチセンター

 

今もなおこの家は、レメディの生まれる源であり、世界中に広まっている『バッチ国際教育プログラム(BIEP)』の発祥の地でもあります。
英国バッチセンターは、 オックスフォードシャー(略してオクソン)のウォリングフォードという町の郊外にあるソットウェルという村にあります。 ロンドンのPaddington駅からDidcot Parkway駅まで電車で行き、そこからはタクシーでバッチセンターまで行けます。
お問い合わせやアドバイスを受けたい場合、団体での訪問には予約が必要です。 ご希望の方は、前もって下記住所かメールアドレス宛へ連絡をして下さい。

バッチホリスティック研究会では、隔年でBFRPを対象とした英国バッチセンターを訪問する研修旅行を開催しています。

​訪問の際には、バッチフラワーの材料となる花を観察したり、バッチセンターでの研修、ネルソン社の工場を見学しています。

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The Edward Bach Centre(バッチセンター)

Mount Vernon Sotwell Wallingford Oxfordshire OX10 OPZ United Kingdome-mail: centre@bachcentre.com

月曜日~金曜日(祝日を除く)午前10時~午後3時 花の見頃、5月末~8月末くらい  

エドワード・バッチ博士

 

Dr.Edward.Bach(エドワード・バッチ)博士は、1886年9月24日、英国のバーミンガム近くのモゼリーという村に生まれました。
子供の頃から鋭い直観力を持っていたバッチ博士は、冒険好きでユーモアのあるいたずら好きな少年でしたが、大自然を愛し野鳥や木々、野の花を友にして過ごすのが好きな一面も持っていました。
そしてすべての病を癒す単純な方法を発見するという理想は、成長するにつけ確信となり、一生の仕事を支える原動力となりました。
1906年バーミンガム大学の医学生になり、1912年に医師の資格を取得したバッチ博士は、1913年から1918年までユニバーシティ・カレッジ・ホスピタルに在籍し診療所を構えますが、この間に個人の性格の重要性に気がついていました。
同大学病院で細菌学者になった博士は、通常の勤務に加え、独自のワクチンの研究もすすめていました。

1917年、胃腸癌が原因で出血し余命3ヶ月と宣告された博士は、自らの研究を進めるために無理をして研究室に戻り、研究に没頭しました。ところが何ヶ月かが過ぎた後、博士の体調は徐々に回復してきました。
博士は没頭するほどの好奇心のおかげでよくなったと解釈し、これにより以前から推測していた「健康の秘訣は考え方次第である」ということも肯定されたのです。

いくつかの病院や研究所で、ワクチンの研究・開発を続けたバッチ博士は、1928年に自分の精神面との調和を強く感じ、欲求に任せて訪れたウェールズで、インパチエンスとミムラスを見つけ、ロンドンに戻った後ホメオパシーの作り方でこの2種類のレメディを作り、性格タイプに即して患者へ使用したところ、とてもよい結果が得られました。
これに野生のクレマチスも加えられ、3種類のレメディが作られ、これがバッチ博士の新たな出発点ともなりました。
1929年までには、他のあらゆる治療法をやめこの3つのレメディに専念し、1930年の春には人間の性格タイプの研究と、新しいレメディを発見することに専念することにしました。

高収入の仕事を捨て、再びウェールズへ向かった博士は、放射線技師として診療所で働いていた同僚のノラ・ウィークスとともに何ヶ月もの間野原や山を旅し、何種類もの植物を観察しました。
この頃、博士の直観力と感覚は非常に優れており、触れるだけでその植物の発するバイブレーションを感じ、花を持ったり、舌の上にのせるだけで、その花の成分を体で感じることが出来ました。
花についている露を集めるかわりに、ガラスボールに近くの湧き水を汲んできたものに花を浮かべ、直射日光の当たる草原に数時間放置しておくことで、水が花の効能でいっぱいになるという方法を発見し、これは1930年の「ホメオパシー・ワールド」に掲載されました。その後、クローマーという小さな漁村を訪れた博士は、それからの4年間、1年のうち数ヶ月はクローマーで過ごしました。 


クローマーでは、後によき友であり協力者となる建築家のヴィクター・ブレンと出会い、1932年までに合計12のレメディを発見し、人間の12タイプの性格に即して『Twelve Healers(トウェルブヒーラーズ)』という著書を書き、1933年の冬から春先にかけて、レスキューレメディを作りました。
1934年3月、博士はクローマーを後にし、 ブライトウェル・カム・ソットウェルという村のコテージに移り、最後の2年間を過ごすことになります。
経済的余裕のなかった博士は、自分で家具を作り、庭に野菜と植物を植えて生活をしました。
このコテージが現在のバッチセンターとなり、当時の家具は今もバッチセンターで使われています。


19のレメディが完成し、いったんは自分の仕事は終わったと感じた博士でしたが、まだそれらに含まれていない心の状態があり、まだ完成していないと考え博士は研究を続けます。
1935年に、発見したチェリープラムは通常の方法が使えず、煮沸法でレメディを作るようになりました。
1936年の夏「トウェルブヒーラーズとその他のレメディ」の完成版を書き上げた博士は、矛盾する記録がなくなり、将来学ぶ人を迷わすことがなくなるよう、それ以前に書いた書物を全て燃やしてしまいました。
病気の治療を単純なものにすること、そうすることによって大多数の人の心に渦巻く病への恐怖を除くことが目的でした。
1936年11月27日、博士は静かに永眠し、ソットウェル教会にお墓が建てられました。

バッチ博士は亡くなる前、ノラとヴィクターに38種類のレメディは全ての精神状態と性格を網羅しており、レメディのシンプルさが保たれるようにと言い残しました。
博士の死後、ノラとヴィクターは博士の指示通りにレメディを作り続けました。
1940年、ノラの『心を癒す花の療法』という著書の出版と、バッチ博士の著書の再版により、数年の間に世界的にバッチフラワーレメディの存在が知られるようになりました。

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​クローマー

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ソットウェル教会

エドワード・バッチ博士の生涯

1886年 0歳
9月24日、イギリス、ウォーリックシャー州バーミンガム郊外のモゼリーに生まれる。

1902年 16歳
モゼリーのウィンターロー校を卒業
     

1903年 17歳
医学校進学の学費を作るため、父親の鋳造工場で3年間働く
     

1906年 20歳
バーミンガム大学医学部に入学
     

1912年 26歳
バーミンガム大学を卒業
MRCS(外科医)、LRCP(内科医)の学位を取得。
ユニバーシティ・カレッジ病院(ロンドン)に入局。
1930年までロンドン在住
     

1913年 27歳
MB(医学士)、BS(理学士)の学位を取得。
ユニバーシティ・カレッジ病院の救急医療を担当し、同年末に国立更正病院に勤務。
     

1914年 28歳
DPH(公衆衛生)開業医の免許を取得。
ハーレーストリートに診療所を開設。
ユニバーシティ・カレッジ病院で細菌学者として研究。
腸内細菌と慢性疾患の関係性を研究。
腸内バクテリアから作ったワクチンを開発。
     

1917年 31歳
多忙な診療の日々で極度の疲労のために倒れ、7月に出血後昏睡状態に陥る。
末期の胃ガンと診断され、手術は受けたが、余命3ヶ月と告知される。
病院の研究室に戻って研究に没頭して、がんを克服。
     

1918年 32歳
インフルエンザが大流行し、バッチ博士の作った予防接種が数千人の命を救う。
ユニバーシティ・カレッジ病院を辞職。
ノッティンガム・プレイスに研究所開設。
     

1919年 33歳
王立ロンドン・ホメオパシー病院で病理学者・細菌学者として勤務
ホメオパシー創始者ハーネマンの『オルガノン』を読み、自分の研究との類似点を知る。
「バッチの7大ノソード」という7つの経口ワクチンを開発し、医学界で広く受け入れられる。
     

1920年 34歳
「腸の毒血症」に関する研究論文を、王立医学会報に発表
     

1922年 36歳
ロンドンのホメオパシー病院を辞職。
ポートランド・プレース、パーク・クレセントの大研究所に移る。
     

1924年 38歳
ロンドン英国ホメオパシー学会大会で、「がんと腸内毒血症」をテーマに講演
     

1926年 40歳
『慢性病-有力な仮説』(C.E.フィーラー博士と共著)出版
     

1927年 41歳
ロンドン国際ホメオパシー学会で、疥癬と腸内毒血症の同一性を講演
     

1928年 42歳
ロンドン英国ホメオパシー学会で疥癬について講演
ウェールズでインパチエンスとミムラス、ついでクレマチスを特定
     

1929年 43歳
研究所を閉鎖してロンドンを去り、フラワーレメディの発見に専念
     

1930年 44歳
ウェールズやイギリス各地を回って、レメディに使う植物を探す。
サン・メソッド(太陽法)完成。
「なんじ自身を癒せ」を書き始める。
ノーフォーク海岸沿いのクローマーに滞在。
アグリモニー、チコリー、バーベイン、セラトー、セントーリー、スクレランサス発見。
     

1931年 45歳
「なんじ自身を癒せ」出版
ウォーターバイオレット、ゲンチアナを発見
     

1932年 46歳
ロックローズを発見
     

1933年 47歳
「トゥエルブ・ヒーラー(12人の癒し手)」を小冊子の形で出版
オーク、ヘザー、ロックウォーターを発見
ゴース、オーク、ヘザー、ロックウォーターの4種を「フォーヘルパー(4人の助け手)」と名づけた「12人の癒し手と4人の助け手」を出版
バイン(スイス)とオリーブ(イタリア)を特定
ロックローズ、クレマチス、インパチエンスで、レスキューレメディ(救急薬)を調合
     

1934年 48歳
イギリス中を放浪し、4月にソットウェル村の小さな家(マウント・バーノン)に落ち着く。ワイルドオートを発見。
ゴース、オーク、ヘザー、ロックウォーター、オリーブ、バイン、ワイルドオートを「セブンヘルパー」と名づけた。
「12人の癒し手と7人の助け手」を出版。
これで、一度完成したと思ったが、発見した19種ではまだ不十分と考えるに至る。
     

1935年 49歳
チェリープラムを発見、ボイリング・メソッド(煮沸法)を開発
残り18種を発見
エルム、パイン、ラーチ、ウィロウ、アスペン、ホーンビーム、スィートチェストナット、ビーチ、クラブアップル、ウォルナット、チェストナットバッド、レッドチェストナット、ホワイトチェストナット、ホリー、ハニーサックル、ワイルドローズ、スターオブベツレヘム、マスタード
     

1936年 50歳
全38種を説明した「トゥエルブ・ヒーラーとその他のレメディ」を出版
講演旅行の計画を立て、ウォリングフォードで講演
11月27日に永眠
『The Medical Discoveries of Edward Bach Physician』
Nora Weeks The C.W.Daniel Company Ltd より

バッチ博士のことば(『バッチ博士の遺産』収録「なんじ自身を癒せ」より)

 

●「私たちの多くは、子供時代や人生の初め頃には、その後の年代よりもずっと自分自身の「魂」の近くにいます。そして一生の自分の仕事や、この世で期待されている努力、そして発達させなければならない性格について、より明確な考えを持っています。というのは、私たちの時代の物質主義や環境、そして付き合う人たちによって、私たちは『ハイアーセルフ』の声から遠ざけられ、理想を欠いた平凡な日常に固く縛りつけられているからです。」

●「傲慢さ、残酷さ、憎しみ、自己愛、無知、不安定な心、そして強欲のような欠点が、人間のほんとうの病気です。・・・中略・・・このような欠点が真の病気なのであり、それは悪いことだと理解できるところまで私たちがもう進歩してきているのに、なおもその欠点をかたくなに持ち続けていると、身体のなかに病気として知られる有害な結果が引き起こされるのです。」


●「慣行からはずれる恐れと、義務についての誤った観念が恐ろしいほど増幅されたこの時代においては、この方向での最大の難関は、私たちに最も身近な人たちのなかにあるかもしれません。あきらかに人生の大事に立ち向かうに足るだけの勇気を持ちながら、とても多くの人が、もっと内輪の試練には勇気がくじけてしまっています。私たちはもっと勇気を持たなければなりません」


●「あらゆる恐れと不安は投げ捨てねばなりません。それは人間の心のなかに在ってはならないもので、自分の「神性」を見失ったときにだけ現れてくるのです。」


●「病気として知られているものは、身体の中に生み出された最終的な結果であり、深く長く活動してきたいろいろな力が作り出した最終産物です。」

●「私たちは霊的に進歩しているとき、「魂」と心の真の安らぎを感じますが、これはどんなに莫大な富を貯めこんでも手に入りません。しかし、時代は変わりつつあります。そして純粋に物質主義の時代から、宇宙の真実と真理の欲求へ向かって、この文明が移行し始めている徴候が数多く見られます。」


●「『無知』とは、学ぼうとしないこと、機会が与えられているのに、『真実』を見ることを拒否することです。」


●「親の役割は、神聖な奉仕ですから、神に命じられる他のどんな義務を行う場合とも同等に、いや多分それ以上に尊ばれなければなりません。これは犠牲的行為ですから、子供にどんな見返りも求めてはならないことを肝に銘じていなければなりません。」


●「私たちが誤りとか悪とか呼んでいるものは、真実を言えば、場違いなところに置かれた善であり、それゆえ純粋に相対的なものです。さらに私たちの理想追求の基準もまた相対的であることを覚えておきましょう。」


●「すべてにおいて、楽しい気持ちでいるように努めるべきです。私たちは疑いや憂鬱で心が押さえつけられるのを拒否しなければなりません。そういうのは私たち自身から出たものではないことを憶えておいてください。私たちの「魂」は喜びと幸せしか知らないからです。」


「なんじ自身を癒せ」(書籍『バッチ博士の遺産』収録 より引用)

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